筑豊本線、長崎駅、平戸口駅 鹿児島交通など。九州と言ってもごく一部です。(昭和47(1972)年2月) |
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S47(1972)・2・22 筑豊本線折尾・中間 間 D60が牽く石炭列車。 ここらは地面にまでケムリがしみついているような所でした。 |
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ここは複々線ではなく、複線が二つ並んでいる状態でした。右の複線が鹿児島本線から分岐してきた線で 左の複線が若松からの線だったように記憶していますが・・・。前方が折尾・若松方向。 ということは、この気動車は若松発の飯塚方面行きの列車。 |
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上のほぼ同じ場所から振り返って。佐世保発、筑豊本線経由の京都行き特急かもめ 長崎発の編成は博多経由で別に併走していて、小倉でドッキングするという複雑な運用でした。 ちなみに鳥栖・原田間は、この2本の「かもめ」が短時間の間に同じ方向へ走っていました。 |
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同じところを走って来る由布院発門司港行きの急行「はんだ」 いったん別れた線路は、またこの先で集まってきます。 |
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道路のすぐそばをごとごと走って行く9600の単機回送。 |
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化粧煙突のままのD60 |
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こちらはストレートな煙突になっていたD6064 蒸気列車はいくらでも来ました。 |
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同じ列車 D6064 リベットだらけのテンダー車。 |
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中間付近の踏切を通過する、D51 |
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筑前垣生駅。前方は遠賀川鉄橋。その向こうに中間駅。飯塚方面へ向かうキハ17系列車。 |
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筑前垣生駅を中間(なかま)方向へ通過していく9600牽引の石炭列車。 |
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同じ列車。 煙をたなびかせて遠賀川を渡って行く。 |
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筑前垣生の小高い山の上から。飯塚方向からやって来るD60の石炭列車。 |
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同じ列車。上の画像に映っている大木が邪魔で、おかしなアングルです。 |
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同じ場所から、逆方向の列車。 |
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長崎駅構内。いろんな長距離列車の車両が並んでいました。右端にはキハ35系も。 |
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C57に牽かれて待機線から引き出されるブルートレイン。 |
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松浦線平戸口 ハチロクの牽く貨物列車。当時ここは貨物はもちろん普通列車はすべてSL牽引でした。 |
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鹿児島交通加世田の車庫にいる、当時現役のキハ100系 106号車。キハ100系は国鉄キハ07系を 鹿児島交通が独自に発注したもので、払下げではありませんでした。 |
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同じくキハ104 ここの気動車はオレンジ色の派手な格好をしていました。 |
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キハ100系とともに主力だったキハ300系303号車。この車両もキハ17を元にした独自の設計で トイレなしの両運転台式の、結局は後に登場する国鉄キハ10と同じ仕様にはなりましたが、 キハ10より一年早く先にお目見えした鹿児島交通オリジナル車両でした。 エンジンもDMH17ではなく180馬力の三菱DML-2で、当時のキハ17系よりは強力でした。 |
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古い木造客車が止まっている、加世田駅構内。あの客車をもっとよく見ておけばよかった。 |
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南国ムードの加世田駅。ホームの向こう側にも古典的気動車の姿。 この場所は現在、南薩鉄道記念館になっているようです。 航空写真 |
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同じく加世田にて。まだ走っていたような単車の荷物車と、廃車になっていたSL。 こちらも、もっとよく見ておけばよかった。 |
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左側の機関車は足回りがはずれています。後方の建物はKASEDA
THEATERと書いてあります。映画館? |
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機関車正面。逆光で、あとでいくら細工してもこれ以上きれいになりませんでした。 以上、昭和47(1972)年2月撮影 |
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鹿児島交通の線路跡?(1) その(2)入来付近 永吉川に残る橋脚
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