昭和49(1974)年3月 函館本線大沼公園付近 函館へ向けてラストスパートするキハ82の特急「おおぞら1号」 航空写真 |
昭和49年3月。雪の倶知安駅に到着するDD51牽引の137列車小樽行き。 3月とは言えこの辺りは深い雪に覆われていました。 拡大画像 |
倶知安に到着した137レから降りてくる人々。90パーセント学生で、列車はここですっからかんになりました。 雪国の人は慣れたものですが、ホームから列車に乗り込むときは線路に滑り落ちないかとヒヤヒヤしました。 |
同じ日137列車の窓から、倶知安と小樽の間のどこかの駅。 停車中のキハ22の前面も雪まみれで凍てついているようでした。 拡大画像 |
同じ日、晴れ間の見える余市まで来た137列車。雪まみれの客車。ホームにも雪がうず高く積み上がり 向こうのキハ22の姿もほとんど見えません。 |
吹きあげられてびっしりとまとわりついた雪。連結器やジャンパホースも見事に冷凍。 |
これも同じ列車 余市駅 雪で凍りついたホーム。 |
昭和49年3月 石北本線網走行き527列車より。上川を過ぎたあたり。DD51が牽く混合列車。 客車はオハ62系が2両とオハユニ62が1両。これから石北峠の厳しい難所を越えます。 拡大画像 |
列車の後方 よく見るといつの間にか後部補機のDD51が付いていたようです。これも忘却のかなたでした。 |
同じ石北本線527列車より。天幕駅? ポイント部分の除雪中。 |
同じく527列車より。白滝駅ですれ違ったDD51重連の貨物。 2両目の本務機の乗務員にタブレットを渡しているところ。 拡大画像 |
昭和49(1974)年9月。 急行大雪くずれの石北本線網走行き1527列車 列車が長すぎて、いいカーブに来ると機関車が隠れて・・・。 |
同じ1527列車。これだけの長い編成の列車をC58が1両で牽引。 |
昭和49年9月 石北本線呼人付近 順法闘争で側面を塗りたくられたキハ22。 こういうのが来るとがっくりしましたが、今はもう見られないだけに記録は記録です。 |
昭和49年9月 岩山がのしかかって来るような遠軽機関区 この当時は石北本線は遠軽〜網走間だけD51とC58が走っていました。そのほかはDD51が。 |
同じく昭和49年9月 網走駅構内の腕木信号 美幌・遠軽方向。 航空写真 |
網走駅にて 変形デフにJNRの文字が入ったC5833 |
昭和49(1974)年9月 根室本線 芽室駅を通過する釧路行きキハ82系特急おおぞら 拡大画像 |
同じく、釧路へ向けて去っていく「おおぞら」 芽室駅構内は広く、引き込み線が数本伸びていました。 |
芽室駅東方 十勝川の支流を渡る、上りの82系特急「おおぞら」 |
芽室駅に到着するDD51牽引の釧路発滝川行き422列車 根室本線内の鈍行では一番のロングランナーでしたが、編成は短い。 |
昭和49年9月 函館本線山崎付近を行く下り貨物列車。 広々とした海岸線の原野の中を走ります。 |
同じく広い海岸線を行く、キハ56の急行すずらん。しかし4両目のキロは北海道向けのキロ26でなくキロ28のよう。 |
海岸へ向かう砂利の道路。内浦湾の荒い波が押し寄せています。 |
昭和46(1971)年8月 函館本線石倉駅 D51が引く下りの長万部行き普通列車 拡大画像 |
函館本線石倉付近 おそらく札幌行きのキハ82特急北斗。 今はこんなところへ入ってはいけません! この時は雷雲が発生して急に薄暗くなり、近くの海面のブイに雷が落ち始めて肝をつぶしました。 |
昭和46(1971)年8月 函館本線銭函付近 D51と電気機関車の3重連。これは何をしていたのでしょうか。 |
同じく銭函付近 札幌方面に向かう客車列車。この当時は電化後もこのような長い編成の客車列車が多くありました。 |
昭和46年8月 長万部にて キハ22のすっきりした4両編成の普通 |
昭和46(1971)年8月 函館本線小沢 急行ニセコの発車前。待ちきれずに一枚。 |
小沢駅を出発していくC62重連の急行「ニセコ」。 拡大画像 |
昭和49(1974)年9月 函館本線 然別 早朝函館を出た「ニセコ1号」 拡大画像 |
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