城東貨物線はほとんどまっすぐで勾配も少ない、景色も良くない路線でしたが、 昭和40年代半ばまではD52やD51、それにC58などの機関車が見れるところでした。 現在は高架の「おおさか東線」となって生まれ変わっています。 |
HOME BACK NEXT |
昭和43(1968)年9月 龍華機関区のC58-359と吹田第一のD52-142の重連が牽く貨物列車。 |
上と同じ列車 D52-142(吹一) 昭和44(1969)年3月ころまで吹田には2両のD52がいて、城東貨物線を走っていました。 しかし、煙を吐くのは発車時と近鉄をオーバークロスする時だけで、あとは引っ張られて走っている感じでした。 |
昭和43(1968)年12月21日 DD13とD52-142のけったいな重連 協調運転と違います。 ちなみにD52は142号機と28号機で、この142のほうは集煙装置つきでした。 集煙装置をつけたD52の姿は珍しかったと思います。 |
昭和43年12月 吹田区のデフなしなめくじD51-78? 吹田操車場内で使用するD51はデフを外されて 全然イメージが違いました。D51はやっぱりデフをつけていてほしい。 |
|
昭和44(1969)7月 こっちはデフつきなめくじ D51-91(吹一) |
昭和44(1969)年7月 D51-319 ここを走る列車はだいたい時速40キロくらい。 城東貨物線では列車の接近に気付かずに線路を歩く人や犬が多いので、汽笛はよく鳴らしてくれました。 ♪ ここの音(この列車とは違います) |
現在のJR俊徳道駅近くにあった蛇草信号場(はぐさしんごうじょう) 昭和44(1969)年12月21日 |
蛇草信号場に停車中の列車 止まっている間は踏み切りは閉まりっぱなし。 |
昭和44(1969)年12月 C58-118(竜?) 新宮で廃車になったと思い込んでいた118号機と出会った時 |
昭和44年12月 竜華操車場方向へ向かうD51の貨物列車。 城東貨物線でSLが見られたのも、このころが最後。 |
昭和46(1971)年12月 無煙化後の城東貨物線。竜崋操車場から吹田へ向かうDD51牽引の列車 |
上と同じ列車。加美方面からの線路と合流するところ。前方が蛇草・吹田方向。 |
同じ日のほとんど同じ場所で。加美方向から城東貨物線に入るDD51の列車。このあたりは 今は全て高架になって風景は様変わりしています。 当時は蒸気機関車を追い払ったこのDD51もほとんどが姿を消してしまいました。 この加美へ向かうカーブも今は高架化されて百済操車場へと伸びています。 航空写真 |
HOME BACK NEXT Copyright(C) 2003 Mahoroba |