阪和貨物線跡

現在は営業休止ながら、廃止もされずに残っている、旧阪和貨物線の線路を辿ってみました。
08・05・06撮影(モノクロ写真は1974・1)

(この阪和貨物線は2009年3月末 正式に廃止となりました。)
昭和49年1月。竜華操車場から出て来た列車
昭和49年(1974)1月 関西線竜華操車場(現・久宝寺駅付近)から分岐して南へ向かう
当時の列車。EF52が牽引。関西線から別れた線路は南に向かい、阪和線杉本町まで続きます。




上の写真の場所の現在の風景
上の列車の真ん中あたりからの、現在の景色。向こうの高架は先日開業したJR大阪東線。
周囲の風景は、新しい建売住宅があちらこちらに立ち並んでいます。




かつての阪和貨物線の踏み切り 柵が設けられている
    かつての踏み切り。柵が設けられて遮断機がはずされている以外、ほとんどそのまま。




踏切の柵に設けられた立ち入り禁止の看板
踏み切りの柵には、どこも同じ看板が二枚ずつ貼り付けてあります。   



踏み切りから杉本町方向を見たところ
          踏切から杉本町方向を見たところ。家に遮られて遠くまで見えなくなっていますが、
          ここからしばらくは 築堤と高架が続きます。     航空写真




昭和49年当時の同じ場所
    杉本町方向へ去っていく、上の列車。竜華から和歌山方面へは、わりと頻繁に長い貨物列車が
    走っていました。また、和歌山県内からの団体臨時列車や、一時は定期特急「あすか」も走った事が
    あります。



道の広さの割には異常に低いガード
道の広さのわりにはえらい低いガード。昔から運送屋さんをはじめ、トラック要注意です。
何も走らないのに、これがずっとそのままです。上の写真のガードではないですが、ごく近くです。



竜華から分岐して2キロほど来たところの高架橋
竜華から分岐して2KMほど来ると、一時的に完全な高架になります。




コンクリートむき出しの高架橋
戦後時代を感じさせるようなコンクリート橋。




国道25号線をまたぐ阪和貨物線の鉄橋
国道25号線をまたぐ、阪和貨物線。高架はこの国道への対策のようです。




阪和貨物線の低くて小さなガード
国道を越えてしばらくするとまた低くなってきます。簡単なガード。
将来の道路拡張はまったく考えていなかったようです。




完全に地上に降りた阪和貨物線
   やがて完全に地上に降りて続いています。立ち入り禁止にもかかわらず線路上に人影が見えます。




レールがそのまま残る踏み切り跡
ここもレールがそのままの踏み切り跡。知らない車は、一旦停止をしてしまいます。




今にも鳴りそうな踏み切り警報器
今にも鳴り出しそうな踏切警報機




小さな踏切跡
何も来ないのに、ずっと踏み切りはそのまま。これを見ると明らかに線路が街を分断しています。




何も来ない踏切を渡る自転車の子供
小さな子供にはかえって、踏み切りの意味が分からなくなるのではと、余計な心配をしそうです。 
今の子供は、生まれた時からここを列車が通るのを見たことがありません。踏み切りだけです。




  
線路内通行及び耕作を禁ズ の看板
大和川の近く、出戸あたりまで来ると、こんな古い看板が。立てた人は覚えているでしょうか。




瓜破墓地付近のカーブの標識と速度制限
   瓜破墓地付近のカーブの標識と速度制限。このあたりから再びカーブして大和川に沿っていきます。




墓地踏み切りの標識
不気味な名前の踏み切り。このあたりは広大な瓜破墓地のすそを通ります。




ぼろぼろの勾配標識
ぼろぼろの勾配標識




全列車45キロ制限の速度標識
竜華方面行きは下り勾配のせいか、全列車45キロ制限。
後方の架線点検用ハシゴは雨風に曝されてバラバラ寸前。




大和川堤防沿いに来た阪和貨物線跡
大和川堤防沿いに来た阪和貨物線跡。敷地内に堂々と畑があちらこちらに。
後方は阪神高速松原線。




杉本町に向かって、堤防沿いを西に走る阪和貨物線跡
あとは杉本町に向かって、堤防沿いを西に走ります。




立ち入り禁止の看板
   一応こういう看板は方々に貼られていますが、放ったらかしですみません、の一言も欲しいところです。
   歩いてみて、中途半端に残された線路は街を不便にしている感は拭えない、阪和貨物線跡でした。

(この阪和貨物線は2009年3月末 正式に廃止となりました。)


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