別海町営軌道の廃止直後の姿です。昭和46(1971)年8月。 この時はまだレールも車両もほとんどそのまま残っていました。 |
国鉄標津線奥行臼の駅舎 手前右側の建物が別海町営軌道の社屋 拡大画像 |
まだ新しいレールバス。後ろの倉庫に動輪つきのカローラがあると聞いていましたが見れませんでした。 右の貨車は絞った牛乳のタンクを積んでいたそうです。 拡大画像 |
レールバスの銘板 札幌泰和車両 昭和39年 |
モーターカー? 座席の下にエンジンのようなものがある。後ろに折りたたんだ鉄板は何に使ったのでしょう。 一応ヘッドライトも付いていたようだ。 |
戦車みたいな除雪車。どっちが前かわからない。 |
まだ十分使えるディーゼル機関車。この状態の良さだと、おそらくどこかの鉄道に払い下げられたのでしょうか。 |
まだまだ頑丈な回転窓。激しい雪の中を細々と運行している姿がしのばれます。 |
牛乳を積む貨車の立派なボギー式台車。 |
捨てられていた駅名板。次は「おくゆきだいいち」 線の上の割れてなくなっているところには「おくゆきうす」と書かれてあったのでしょう。 |
左はボギー車の貨車。右は多分牛乳用のトロッコの残骸。なにもひっくりかえさなくても、と思う。 拡大画像 |
奥行臼駅構内のターンテーブル。当然手動式であったでしょう。 |
奥行臼からでて来たところの762ミリの線路。 |
上の写真とほぼ同じ場所の反対方向。踏切には道路と軌道両方に信号機が。40年近くたってから気が付きましたがこの遮断機は、 鉄道を遮断するようになっています。列車が通る時だけ開けたのでしょうか? 拡大画像 |
原野に向かって伸びていく線路。給油タンクのあたりが「おくゆきだいいち駅」。線路は原野の奥のほうでいろいろ他社と 複雑につながっていて、乗り継いでいけばかなり遠くまで行けたそうです。 |
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