河内堅上(かわちかたかみ)

河内堅上駅は、JR関西線(大和路線)の大阪と奈良の県境近くにある小さな駅。今まで何十年もここを通りながら
降りてみるのは今回が初めて。灯台もと暗しですな〜(2013年7月14日撮影)

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      初めて降りる河内堅上駅の改札口。自動改札機が小さな待合室のほとんどを占領しています。
      この河内堅上という駅名と対をなしているような堅下(かたしも)という駅が柏原市内の近鉄大阪線にあります。


       古いベンチのある駅前。道路が細くバスもないので、迎えに来てもらう人がよく使っているようです。



      駅前は細い道路に数軒の店があるだけ。しかもこの日は日曜日で休みのようです。



                    駅前を通りを外れるとすぐにこんな小さな道。



      電車の向こう側に大和川、手前は斜面に家が散在して、まとまった集落は見当たりません。



 
           かつてはいろんな気動車が走っていたこのあたりも、今はすべて同じような電車。



        昔このあたりで側線から出てくるD51を見た記憶があるので、駅の王寺よりへ行ってみました。
        対岸の採石場の石を積み込むための引き込み線があったはずです。


    線路の左側が大和川。その対岸に国道25号線が走っていて、右の細い道は25号線につながっています。
    ちょうどこのあたりから左手に側線があったはずです。



 王寺方向をみる。なんとなくそれらしい敷地。100メートル以上続いていますが、これといった痕跡が見当たりません。



         大和川の対岸にあるコンクリートの構造物。これが川向うの採石場から川を渡っていた
         ベルトコンベアーの橋脚と思われます。



    ちょうどこちら側の土手が大きくえぐられています。こちら側にもベルトコンベアーの施設があったはずです。



          上に登ってみると、やはり線路があったような敷地。柏原の方向、大和川は左側。



         もう少し王寺方向へ行くとこんなコンクリートが。この少し先で線路跡は消えています。



      そのまま歩いてくるとカーブした第四大和川鉄橋に行き当たります。この先が亀の瀬の地滑り地帯。




  この鉄橋は、この先の亀の瀬の地滑りで崩落した亀の瀬トンネルのバイパスとして、半年間の突貫工事で
  1932年の暮れに完成したといいます。



                           鉄橋近くにある危険区域を示す看板。



                              再び河内堅上駅に戻ります。



                河内堅上駅は、ちゃんと1名の駅員さんが居られます。
                自販機だけの味気ない駅ではないのがうれしいです。



                   王寺方面行のホームから。古い表示板がそのまま。




                     ホームには何度もかさ上げした跡があります。



    この駅、周辺にはまとまった町はないのですが、どこからともなく乗客が現れて結構乗降客があります。



         河内堅上駅は桜の名所でもあります。かなり古い桜の木がホームに沿って並んでいます。




                          今では珍しくなってしまった103系電車。 




                            跨線橋の上から王寺方向をみる。 



         先頭がC57で、後ろが茶色い客車だったらと、、簡単に置き換えて想像してしまいます。^^
         この河内堅上駅は以前は奈良県の王寺と大阪府の柏原駅との間のたった一つの山峡の駅でしたが
         今は両側とも後からできた新駅に囲まれています。
           


           漢字は違いますが備前片上と区別するために、河内堅上となっているのでしょうか。
           それにしても河内堅上と近鉄の堅下。どういう風なつながりなんでしょうね。
           

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