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根室本線厚床駅 昭和46(1971)年8月 釧路からさらに東へ90km。標津線との分岐駅でした。
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同じく厚床駅にて。朝の根室行き441列車
停車時間が長いので駅弁屋さんもゆったりしていました。
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同じ厚床駅にて。給水を終わって列車に戻ろうとするC58
この厚床駅から分岐していた標津線にはC11が入っていたので、給水設備があったのでしょうか。
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根室へ向かって厚床駅を出発する441列車。客車が2両と荷物車の編成。
「物好きな人だねえ」という顔で見られました。
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厚床駅。列車が出た後、降ろした荷物の整理をする。「KINTOKI」と書いてあります。
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同じく厚床駅。釧路行きのキハ22に乗り込む旅人の女学生(?)
この当時はディスカバージャパンの旅行ブームでした。
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昭和49(1974)年3月 石北本線遠軽駅 右側は名寄本線のキハ22。
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昭和49(1974)年3月 雪の上川駅
寒い間はホームの駅弁屋さんも売りにくかったでしょうね。
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同じ日 上川駅前 道路のトラクターには通学の小学生が乗っていました。
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雪まみれの函館本線小沢駅ホーム。2両のキハ22のうち、どっちかは岩内線の列車。昭和49(1974)年3月
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小沢駅にて、客車の後部デッキから倶知安方向を見る。 機関車点検中? 昭和49(1974)年3月
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朝の塩谷駅 小樽方面へ向かうキハ22 昭和49年3月
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比羅夫駅 雪を舞い上げて通過する急行「ニセコ」
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昭和46(1971)8月 朝の熱郛(ねっぷ)駅
行商のおばさんや旅館勤めの様なおばさんたち。
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昭和46(1971)年8月 倶知安駅
ここからも仕事を終えた行商のおばさんたちが乗り込んできました。
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長万部駅にて 乗っていた列車の牽引機 D51
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ニセコ駅。カタカナと平仮名両方書いてあります。私はどうも「ニセコ」が馴染みます。
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