1936年 12月11日に紀勢中線として、串本〜下里間が開通した際の、試運転の様子の画像です。 この貴重な画像は那智勝浦町下里にお住まいの太地信哉様から送って頂いたものです。 画像は上が古典機(ダブスA8タイプ?)で下がC11ですが、 いろいろと検索しましたがどちらも機番がはっきりせず確認できていません。 目次に戻る |
下里駅西方の太田川鉄橋を渡って玉の浦隧道へ向かうところです。 出来たての線路や道床、石垣などから新線開通の雰囲気が伝わってきます。 この時点では西側の串本〜江住間はまだ開通しておらず、他の区間も同時並行的に工事が 進んでいてランダムにあちらこちらと開通して行ったようです。 |
これはもう営業運転でしょうか。C11がバックで木造客車を引っ張って、紀伊浦神方向へ走っています。 このC11は機番が最後が6で終わっているようですので、当時この方面にあったC11-16号機 ではないかと思いますがはっきりしません。 石炭の上に白いカバーをかけています。前進運転時に火の粉が落ちるのを防ぐためでしょうか。 よく見ると煙突は火の粉止めフィルターを付けていないようです。この時点では新宮の機関区 だったんでしょうか。串本〜江住間が開通するのは4年後の1940年ですので、まだ紀伊田辺機関区 とは繋がっていない事になります。 現在はオーシャンアローやスーパーくろしおが当たり前のように疾走して行くこの区間。 もともとは鉄道もなかったこの場所に、線路が通った時の変化はどれほどの事であったのか。 恐らくそれは、その後の無煙化や電化スピードアップとは比較にならない、 大きなカルチャーショックであったと思います。 |
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